型の確認と素振りをしています。
気がつくと、長年使用してきた愛刀の鍔から緑青が。あと、親指のかかる部分が削れてる。
そんなワケで、今日は錆と汚れを落とし、ついでに漆で鍔全体をコーティングしてみました。
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刀を扱う以上、その斬撃は否応無く「斬れる」ものでなくてはならない。
本当に刃筋が合い、刃並が揃っていれば、その軌道にモノが出現すれば「斬れる」ワケです。
ただ、それを確認するために毎度毎度ただ斬るだけの為にモノを斬っているワケにもいかない。
居合道の目指すものとは「斬る」事ではなく「克つ」事。
とはいえ、斬れない刀業にその存在意義はあるのか?無いですよねぇ。
・・・・・・では、斬らなくても明白な「斬れる斬撃」の目安とは何か?
それは素人の目から見ても「あ、斬れる!」と思えるように、型を完璧に決める事だと思います。
結局は精神論?とも思うのですが、本当に凄いモノは理屈をすっ飛ばして純粋に感動させるモノ。
そんな所謂「神の領域」を目指して、人は日々精進していくのでしょうね・・・・・・